前回の「免許とれない」は皆様のおがげで、たいへんご好評をいただきました。ぜひ続編を・・・というご希望が多いので(ほんとか?)、ここに第2弾を書き下ろすことと相成りました。前編同様、皆様方のご愛顧を願ってやみません。ところで、まだチャレンジする免許があるのか?という疑問をいだかれる方もいらっしゃるかと思いますが、まだまだ免許の種類は多いんですねー。

 /// プロローグ ///

「どうでした?」
「受かりましたよ、大型2種」
「それはおめでとうございます、どうです早速タクシーやりませんか?」
「はあぁー!?」
「最近不況のせいか、大型2種のつぎにけん引までとる人多いんですよ」

バスの免許に合格した待ち時間、府中の試験場の実技待合室前で待ちかまえている、タクシー会社の勧誘員との会話です。

自分的にはもうバスの免許で今回のチャレンジシリーズは終わりにしようと思っていましたが、この勧誘員の一言でけん引免許チャレンジです。もちろん、けん引1種から受験し、2種にすすむ予定です。

 /// 実技教習 ///

さて決心はしたもののどうしたらよいものか、けん引は 故障車 をけん引した程度しか経験しかありません。また、その昔大学の 学園祭 で、わが自動車部がけん引車両のミニ版を作って、一般の人に学内で試乗してもらったことがありますが、そのときメチャクチャ難しかったことを記憶しています。これはとにかく教わるしかないかというわけで、バスの教習を受けたT教習所、K教習所に電話して確かめると、けん引の教習はやっていないとの返事。あちこち調べた結果、鮫洲運転試験場の前にあるS教習所がやっているということなので、早速申し込みました。

*** 第1回教習 ***

「けん引運転したことは?」「初めてです」「じゃあ直線バックから始めようか」外周を2〜3周して、「ホォー、前に進む分にはたいして大型と変わらんな、ただチョット、インの食い込み(内輪差)が大きいかなぁ」・・・ぼくの感想。つづいて内周の50m位の直線路に止まり、「まあとにかくバックしてごらん」「はい」バックギアに入れ、後方確認しゆっくりさがり始めます。オイオイオイ!いったいどこへ行くんだい?というくらいトレーラ(前=トラクタ、後=トレーラ)は右へいったり左へいったり、いうことをききません。だいたいどっちにハンドルを切ればどっちにいくのか、もう頭の中は真っ白。もちろん、一応予備知識として、ハンドルを左に切ればトレーラは右(逆はもちろんその反対)くらいは頭に入れてきたつもりですが、それどころではありません。1メートルとしてまっすぐさがれないのです。ラリードライバーとして 直線バック は相当なスピードで何百メートルだってまっすぐ進めるぼくがですよ!わけわからんので、やみくもにハンドルをきると、ますます ドロ沼 です。「わかったかな」教官の先生も人が悪い、けん引は直線バックができるようになれば一人前(一番難しいのは後退幅寄せ)だそうで、だいたいけん引免許の練習にくる人は自信過剰の人間がおおいので、最初にこれをやらせて、難しさを認識させるのだそうです。というわけで、直線バックはあっというまに終わり、S字、踏切を少し練習。これは大型とさして大差はないかんじです。しいていえば、S字は大型より内輪差が大きい分だけ少しきつめ、踏切はボディの全長が長いので、けつがぬけきらないうちに、つい ギアチェン をしてしまいがちというところでしょうか。まあこれは何回か練習すればいけそうです。最後に方向変換の練習です。もうこれにつきるそうです、これさえうまくいけば、けん引免許は合格できるということです。はじめに教官がお手本をみせてくれました。 さすがにうまい、一発でまっすぐ入りまいた。さていよいよぼくもチャレンジ、右バックです。まず定位置に止め、はじめに左にハンドルをきります。エッ右じゃないかって?そう普通車のように右にきると自分(トラクタ)はいいのですが、けつ(トレーラ)は左を向いてしまうのですよ。よしよしトレーラが右をむいてきたぞ。


60°ってこんなものかな、さあそろそろハンドルをもどすぞ、うそーぜんぜん伸びないじゃん!ほとんどV字に折れ曲がって(これジャックナイフといって立ち直れません)おわってしまいました。もう一度前へ出てやり直し。今度は前より少し早目にハンドルをもどすと、なかなか調子よさそうです。よし、このまま押していけば(教官いわく、バックのときは60°の角度を保ちながら、トレーラをトラクタで押していく感じだそうです)いけるかな?最後に頭(トラクタ)をまっすぐにしてと、「はい、できました」「ウン、まあまあだね」・・・とにかく車庫にいれられたので自分は満足して初回の教習は終了しました・・・その時は、これから始まる苦闘など知るよしもなく・・・。

*** 第2回教習 ***

2回目の教習は、ほとんど方向変換ばかり練習しました。右バック、左バックのくりかえしです。右バックは右リアのタイヤとコーナーの縁石が直接目で確認できるので、やりやすい感じがします。 しかし左バックは左リアとコーナーが ミラー でしか見えないので、通すのか通さないのかがわかりにくく、教官が車を降りてコーナーに立って指導してくれるのですが、なんか苦手です。それはともかく、もう難しいの一言につきますね。切り返しなしに一発で入るのは、せいぜい3回に1回。どうもぼくは折りすぎるようです、かといって早目にもどすとアウトがつかえるは、折れがちょうどいいかなと思っていると意外なところがつかえたり、もうほんの少しでもどこかで間違えると、必ずどこかがぶつかります。助けてくれぃ!と叫びたい!!例えば右バックの場合。初めに止める位置が右の縁石に近すぎると、右フロントが、あけすぎると左フロントが、先に行きすぎると、右リアが、手前過ぎると左リアが縁石にぶつかります。もちろん、折りすぎ伸ばしすぎはもっと最悪の事態を招きます。しかも失敗したときの切り返しは、何がなんだかわかりません。もうそれはそれは目をつぶって神に祈るという荒技を使うしかありません。たまたまうまくいって、ピッタシはいるときもあるのですが、まったく再現性はないと断言できるくらいです。今日の教官は「はい我慢、我慢、もー少しがまんしてー」が得意技でした、毎回教官が代わるのでいろいろ楽しめます。それでも何回か練習するうちに、折れの直し方がすこしわかってきました。とにかくトレーラが折れている方にハンドルを切れば、折れが直るということです。いやはや、とにかく大変ですが、それだけにやりがい満点ですね。まだたったの2回しか教習受けてません、しかも方向変換ができる自信もありません、しかしそれでも受けちゃうんですねー、本番!

 /// 第1種けん引免許実技試験 ///

*** 第1回実技試験 ***

もう自分の庭のような府中試験場です。相変わらずネクタイ・スーツ姿のタクシー受験者が目立ちます。待合室で今日のコースの確認。けん引(試験場の係官はケンビキといいます・・・これってプロの呼び方なのかな〜?)の試験コースは単純で、2コースありますがどちらも、方向変換、S字、踏切の順番(クランクはない!バスでギリギリのクランクを、けん引で通せる人いるのかしら?)で方向変換が右バックか左バックかの違いがあるだけです。しかもS字以外はバスの試験と共通ですからコース図を見ただけで、すぐ頭の中にイメージが浮かびます。コース内の待合所では、試験談義に花が咲きます。「今日は何回目です?」「いやー、この前また方向変換で失敗しました」「どのへんでハンドルもどします?」「折る角度、何を目安にしてます?」やはり方向変換の話題が中心です。ほとんどがプロの大型のドライバーです。運送会社のひと、バスの運転手、 ダンプ の運ちゃんなどなど多彩です。ぼくのように遊びで受けにきている人はいません。そうこうしているとぼくの番です。けん引は座席の関係でタクシーやバスのように、前の人の試験に同乗しませんのでいきなり本番の試験です。内周からスタートして一度外周にでます。一時停止、 ウインカー 、左折小回り、そしてバスの時さんざんだったブレーキングに注意しながら走行します。ふつうの走行時に一番危ないのは車線です。トレーラは車線いっぱいいっぱいの幅(トラクタは大型並み)ですから、チョット気をぬくとラインを踏んでしまいます。特に右折時は全長が長いので、切り込みすぎるとトレーラがセンターラインをまたいでしまいます(試験中止)、また外周のコーナーもていねいにまわらないとラインを踏んでしまいます。さあいよいよ再び内周にもどり方向変換です。よし、ぼくの好きな右バックだぞ。車庫を右にみながら定位置に止めます。このときトラクタの先端が先の道路上にはみだしてしまうのが気になりますが、まあこれは試験場の構造上しょうがないようです。すこし右があきすぎたかんじです。後方確認してゆっくり左にハンドルを切りながらさがります。よーしトレーラが右を向いてきたぞー、右リアタイヤと縁石もちょうどいい位置だ、もうハンドルもどすぞ(右に切る)、おっと 左フロント がきついか〜?まあもう少しさがろう。 ウォーだめだ、左のフロント乗り上げそう・・・といってここでハンドルをゆるめると(左に切る)ぜったい折れすぎてアウトだしなー。いったん停止、さてどうする?どーせ切り返しは神頼みなんだから、とにかくトラクタの左フロントを通すことを考えよう、いったん前に出て切り返し、再びバック、いい感じかもしれない。ちょっと折れすぎてるから、もう一度前に出て伸ばすか?(切り返しは3回までOK)と再び停止し、前に出ようとすると、前方のクランクにちょうどバスがやって来た。もちろんコースはセパレートされているので、ぶつかるわけではありませんが、ここでぼくが前にでるとバスの目の前にでることになり、バスの試験を受けている人が圧迫されるだろうなと思い(ついこの前まで自分もバスの受験者でしたから、バスのクランクはギリギリで厳しいので、余計な神経を使いたくないだろうしなー)、一瞬ちゅうちょしていると「君、試験なんだからテキパキとね」と試験官のお言葉。「はいはいでもね、目の前のバスの人だって必死なんだから」と心の中でぼく。バスをやりすごし、一度前に出て折れを伸ばし、再びゆっくりバック。まあこんなものかというところで「はい、入りました」(けん引は車庫に入ったら試験官に声をかけるきまり)「少し曲がってるな」(車庫に入った時、トラクタとトレーラがまっすぐになっていないといけないきまり)「はい」もう一度前に出てさがる。「入りました」「まだ曲がってるよ、君わからないのかい?」「はぁ〜〜?」もう3回切り返したのでアウトです。「トラクタが少し右向いてるよ、右のミラー見てごらん、右のリアタイヤが見えるでしょ」「なるほど、すこし見えます」「また練習してこよう、切り返しはうまかったよ」・・・神頼みの切り返しはほめられたものの、前後の曲がりで落ちるとはまったく盲点をつかれました。教習所では前後をまっすぐにすることについては、何も言われなかったので、だいたいまっすぐならいいのだろうくらいに考えていましたが、甘かったようです。せっかくうまく車庫に入ったのに残念、残念。次回のためにせめてS字を練習させて欲しかったな・・・。

*** 再び教習 ***

教官に報告、「車庫入れで前後が折れてるといわれ、落ちました」。教官は「左右のミラーでリアタイヤが両側とも見えなければ、前後はまっすぐだから、さがりながらミラーを確認し、ちょうどのところで止まれば大丈夫。なにも車庫の一番奥まで入れなくてもいいんだから」(実際ギリギリ奥まで入れても、どのみちトラクタは車庫からはみだす)とアドバイス。今日はまずバックで前のトラクタと後のトレーラをまっすぐにして止める練習。

ハハァーンだいぶわかってきたぞー。ハンドルを切ってからトレーラのけつが動くのは時間差攻撃なのです。それがわかっていなかったんだぼくは。例えば右のリアタイヤが見える時(軽く右に折れている時)は右にハンドルを切って修正するのですが、僕の場合なかなかけつが左を向いてくれないので、つい右に切ったままにしてしまい、今度は左に折れるのでハンドルを左に切ると、また右に折れという具合でクネクネしてしまいます。この時間差を頭にいれて、ハンドルをもどす操作をしないのがいけなかったようです。でもねぇ頭でわかっていても、実際やってみるとこれが難しいんですよー!それでもなんとかまっすぐ立てられるようになり、再び方向変換の練習です。

今日は不調で何回やってもうまく入りません。みかねた教官が「チョット車を止めろ」と言って、車からおりてしまいました。何をするのかと思っていると、外から運転席側のサイドステップに乗りました。これ教習所の中だからいいですけど、ふつうの道路だったら怪しい姿ですよね。なんといっても教官は車の外でドアにつかまっているわけですから。教官は左手でドアの窓枠につかまり、右手でハンドルを持つと、僕は運転席でクラッチ操作だけをしてゆっくりバックしろいうのです。その通りゆっくりさがりますと、教官は窓の外からハンドル操作をし、まさに一発でピッタシ車庫に入れました。もちろん僕は教官のハンドルの切り方、もどしかた、そのタイミングを特等席でしっかり見学させていただきました。いやはや感動ものですね。さすがにプロ!!おおむこうから「お見事!」の声が飛びそうです。といってもその後僕がやるとまただめなんですよ(笑)。最後にS字と踏切をおさらいして今日の練習は終了。




*** 2回目試験 ***

1回目と同じコースです。もう完敗でした、メチャクチャ折りすぎです。右バックで右リアのインが車庫のコーナーのちょうどいいところ(普通車感覚で)を通ったので、よしよしと思っていたら(あとで思ったのですが、よしよしとか考えてるひまにハンドルをもどさないといけなかった!)、戻しが遅かったのでしょう、完全にジャックナイフになってしまいました。一応前に出て伸ばす努力はしましたが、3回切り返しても伸びる気配がなく、自分からギブアップを申し出ました。

この間試験官は助手席から身を乗り出すようにして、右側の接輪、脱輪をチェックしていましたね。

いわく
「1回目の切り返しで、初めからやり直したほうがよかったね。あれだけ曲げると直らないよ。」
*** 3回目試験 ***

またまた同じコースです。皆の話では5回、6回は当たり前、もう何回も本番を受けて、そのうち運がいい時に当たれば受かるさ・・・そんな感じです。今日は前回の反省から、とにかくハンドルの戻しを、早目早目にいこうと思って試験に臨みました。外周を半周し、さあいよいよ方向変換です。いつものように定位置にとめ、バックしながらゆっくりハンドルを左に切ります。トレーラが右に折れていきます、おぉいいかんじかも、ほらもどしもどし、まだ少し折れすぎか?よし目一杯もどすぞ〜〜〜すこし折れてはいるものの、なんとかトレーラが車庫の奥までいきました。よしこのくらいなら一度前に出て伸ばせばなんとかなるだろう、頭を左に振って、前進しながらできるだけ真っ直ぐに立てます、フロントタイヤが前方の縁石ギリギリのところまでいってなんとかほぼまっすぐになりました。いったん停止して再び真っ直ぐバックします。この直線バックは教習所でも何度も練習しました、微妙にハンドルを修正しながら、神様にもお祈りしながら、ゆるゆるとさがります。右がきついので、きもち左に折りながら、よしよしなんとか入ったぞ、左右のミラーを交互に確認しながら、前後が真っ直ぐになったところで止め、
「入りました」
「よしOK」、
初の方向変換クリアです、いぇいー。
とはいえまだまだ安心はできません、次は内周を少し走ってS字です。 この入りがまたえらく意地悪なんです。右折してすぐの左側にS字の入口があるので、まず右に頭を大きく振り、つづいて左にガァーっとハンドルを切って右いっぱいいっぱいのところからS字に入ります。ここは難しいんですけど、けん引車を運転してるなって気がして気持ちいいところです。バスのS字よりきついですね、つねにアウト側をあてて(この表現おわかりいただけるのでしょうか?アウト側をギリギリいっぱいにという意味です)、というよりはアウト側をはみだしていないとインがきびしくなります。ここもなんとかクリアし、S字をでて左折、いったん外周にでて再び内周に入り、直線路左側の工事中を大きくよけ(これもふつうの大型のイメージのよけ方だとトレーラがけっこうきわどい)、右折して最後の関門踏切です。ここまできたら慎重に慎重にいきましょう。一時停止してサイドを引き、窓をあけて音を確認(電車、こないっちゅーに)。ゆるい坂道なのでセコ発進です、けつが踏切を抜けきるまでギアチェンしません。あとはホームに帰るだけ、気を抜けば減点対象はいくらでもあります、左折小回り、ライン踏み、優先道路の確認等々、最後まで細心の注意をはらいます。初の完走です、結果が気になります。

「はい、予約カード」・・・やったぁー合格だぁー!!さっそく待合所にいきみんなに報告。「おめでとう」「3回目はすごいねー」・・・この日は10人中2人合格でした。自分的には単なるラッキー、方向変換もたまたまうまくいっただけという気がしますが、なにはともあれ受かりました。めでたしめでたし。この勢いで次はけん引2種に挑戦です。


*** ミニ情報 ***

「けん引は稼ぎがいい」・・・現在長距離便をやっている運転手さんの情報
大型より大変だけど、トレーラはやはりペイがいいそうです。年をとったらやりたくないけど(おいおいぼくはどーしたらいいの?)、若いうちにトレーラで稼ぎたいと言っていました。ガソリンを運ぶトレーラは危険物取扱主任者の免許も必要で、当然危険も伴いますが、その分おいしいらしい。

「ダンプは金がかかる」・・・現在ダンプをやっている威勢のいいお兄さん情報
ダンプをふだんの通勤の足として使いたいぼくはいろいろ尋ねてみました。新車は1〜2千万円、中古で数百万円、維持費もだいぶかかるそうです。たとえばタイヤ交換ひとつとってみても普通車に比べ本数は多いわ、サイズはでかいわで数十万円、車庫を借りたくてもまず自宅付近に探すのは無理だし、車庫代の相場も月5〜10万円程度だそうです。ウーム、こりゃがんばって働くしかないな。

「けん引2種」・・・現在バスの運転手さん情報
2種免許はお客さんを乗せて走る営業車です。一般的にはタクシー、バスということですが、けん引2種となると日本全国でも数カ所しか営業運転されていないそうです。バスがバスをけん引して走る、バスが電車のように2連結されて走っているわけです。これ全長が相当長そーですよね。東京近辺では船橋あたりで運行されているようです。ぼくはニュースで長野オリンピックの時かな?一度だけ見たことがあります。

*** 参考文献 ***

「ISBN:4638069444 有紀書房 最新大型トレーラけん引免許」



2台連結された バス 、ご覧になったことありますか?
ぼくは、テレビでしか見たことありませんでした。
デンマークを旅行中、コペンハーゲン中央駅の バスターミナル で、
初めて実物に出会いました。
この連結バスを運転するのに必要な免許が「けん引2種免許」です。
日本では、ほんの数カ所でしか運行されていないそうです。
ですから実質的には、あまり取得しても 意味のない免許 といえるでしょう。
いよいよ最後のチャレンジが始まります。

 /// 第2種けん引免許実技試験 ///

たいへんです!
2種は何回受験しても受かりません!!
1種の試験の時より、 技術の進化 が見られない、というより退化した気がします!!!

1回目:得意の?折りすぎで不合格。

2回目:左折小回りを何度もとられ不合格。

3回目:今度は伸ばしすぎて不合格。

4回目:車庫に入ったものの、出るに出られず不合格

5回目: 車庫入れ で、なかなか前後がまっすぐにならず、後ろの縁石に接輪で不合格

だれか助けてください〜〜。
もうギブアップですぅ。
試験コースは1種と同じなんです。
だから受かってもいいはずでしょ?
たしかに合格点が70点から80点にアップはするのですが、
それよりも、めちゃくちゃ厳しいんですよ、
減点の基準が・・・。

特に2回目はひどかったです。なんと車庫入れに行く前に試験中止。この日は スタート直後 から調子は悪かったのですが、「左折時の小回りがなってない」と試験官から注意されました。左折時は、左のリアタイヤが縁石から30cm以内を目安に曲がらないといけないのですが、ぼくの場合、離れすぎているというわけです。たしかに、つい安全を考えて左をあけてしまう傾向が自分にあるのはわかっていますが、かといって気軽に左にハンドルを切ると、あっというまにインが食い込んで、すぐ接輪、脱輪しちゃいます・・・。1種免許の試験では許容される範囲が広いのですが、2種免許の時は厳密に適用されます。1回のミスにつき5点減点ですから、あっというまに不合格になってしまいます。

3回目の試験は、1,2回目の反省から、左折小回りと折りすぎに注意しようと、自分に言い聞かせながらスタートしました。
左折小回りはよかったんですよ。左折時、ミラーで左後輪を見てると、けっこうきついのですが、そのくらいがちょうどいいようです。

次は方向変換です。
「折りすぎない、折りすぎない、早目にもどす、もどす・・・」
おまじない をとなえてから、そろりとバック開始。よーし、折れてきたぞ、もうもどそうか、いやまだ早いか?いつもそんな事を考えていて、折りすぎるんだから、今日はもうもどすぞ!!エイヤッ。
あら、あらーっ・・・。これ伸びすぎとちゃう!?
おいおい、このままじゃ、ぜんぜんはいらんよーー(泣)。
一度まっすぐ前に出て、再びバックしながら今度は必死に折ろうとしますが、もともと切り返しはわけわかってないのですから、うまくいくはずありません。ここでギブアップ。だんだん自信なくしてきました。まだ2種試験になってから一度も車庫にキチンと入ったことありません。先行き不安です。

4回目のチャレンジ。
今日は目標をあまり高いところに置くのはよそうと思います。
とにかく、車庫に入ること、これがきょうのテーマです。
少し伸ばし気味ではありましたが、なんとか車庫に入りました。
久々に車庫に入ったので、気分はよかったのですが、あれれ、これ出られなくない??
そうなんです、伸ばし気味に入ると、方向変換の出口側に入りますので、出るのがきついんです。
実際は、車庫と 車体のサイズ は図とちがって、車庫の奥行きはボディ全部が入りきらない程度しかありません。 奥いっぱいまで入れても、運転席は車庫からはみだした位置にきます。 すなわち前面道路の幅もそれほど余裕がないので、ますます出るのはきついわけです。 ゆっくり前に出ながら、いったん目一杯頭を右に振り、つづいて一気に左に切ります。 だめです、やはり左後輪が通りそうもありません・・・それももう少しというレベルではなく、 前輪と後輪の間に左の縁石が食い込んで、とても出られる状況ではありません!! またまたギブアップ。教官に、どうやって出たらよいか聞くと「うん、乗り越えちゃえば!」 はいはい、そうさせてもらいます。

5回目のチャレンジ。
実は、もう少しいやになってきています。自信喪失です。あちこち駄目なところだらけで、ひとつうまくいっても、次で失敗・・・失敗したところを注意していると、また別のところでひっかかる。こんな繰り返しで、合格なんかできっこないと感じ始めています。
今回はタクシーにやられました。信号機がない交差点を左折時、左方からタクシーがきていました。タクシーは、その交差点を右折するため、 片側2車線 のセンターライン寄りの車線を走行しています。タクシー側に一時停止の標識がありますので、ぼくが優先ですが、今左折するとタクシーの目の前に、ガァーっと大型トレーラが出てくるわけですから、タクシーの受験者かわいそうかな、ってな事を思いつつ、タクシーの右折を待って、自分が左折しました。
すると、試験官のお言葉、
「君は、少し大回りしすぎるから、左方のタクシーが気になって、待っていたんでしょ。」
・・・まあそれも言えますけどね・・・
「今の左折は、2車線あるんだから、タクシーなんか待っていないで左折しないといけません。もっとスムースな運転を心掛けないと。」
「はーい、わかりました。」
これで動揺したわけではありませんが、車庫入れで失敗してしまいました。入るには入ったんですよ。ところが、なかなか前後がまっすぐにならないんです。トラクタとトレーラの曲がり具合は、左右のミラーで確認しながらバックするのですが、きょうはなぜかクネクネしてしまってピッタシ決まりません、そうこうしているとガクンと軽いショック。あっと思いましたが、左右ばかり気をとられて、バックミラーで後方確認をしていませんでした。後輪が車庫の奥の縁石に接輪です。これでもうパニック。一度前へ出て再びバックしますが、まっすぐにならず不合格。
もうダメかな、2種はあきらめるか・・・そんな気分です。5回も同じ試験を受けても受からない、生まれてこのかた初めてです。とにかく今は休養が必要です。
しばらくお休みっと。。。

 /// つづく ///

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故障車
最近道端で故障して止まっている車あまり見かけませんね。昔の車は、ふつうに走行していても故障するのが当たり前でした。夏はオーバーヒート、ひどい場合はラジエータから水蒸気の白煙を吹き上げ、ボンネットをあけたまま止まっていたものです。ぼくも新宿の伊勢丹の駐車場待ちをしていたとき、すこしオーバーヒート気味かなと思っていたら、突然前方が見えなくなるほどの白煙をあげ恥ずかしい思いをしたことがあります。あれはたしかスバル1300G(FFの名車といわれていた・・・ぼくの2台目の車です)でしたね。1台目のスカイラインは、オイル関係のトラブルが多かったです。山形の鳥海山の林道を走行中、下を突出した岩にヒットし、オイルパンに亀裂が入り、オイルがほとんど漏れてしまいました。修理用の工具一式はもちろん積んでありますが、さすがに溶接の機材までは積んでありません、さらにゴールデンウイーク中だったのでディーラーの工場も、軒並み休みです。これはほとほと困りましたね、しょうがないので、オイルをつぎたしつぎたし、エンジンの回転を上げないようにして東京まで帰ってきました。また甲府から中央高速にのっての帰りです。なんか途中でパワーが落ちてるなと感じながら調布インターでおりると、とたんに水温計と油温計がいっきにふりきれ、エンジンが息もたえだえ状態になってしまいました。このときは、ピストンリング(ピストンには、オイルが燃焼室に入らないようにかきおとすオイルリングと、燃焼の圧力を保つプレッシャーリングがはめられている)がとんだらしく、ガソリンといっしょにエンジンオイルが燃えてしまい、残り少ない状態で走っていたようです。高速走行中はそれでもエンジンが強制空冷されるのですが、高速を降りるとそれもなくなり、一気に水温、油温が上昇しエンジンブロー直前でした。布田の出光GSのおじさん、その節はお世話になりありがとうございました。部車はさらに故障が多いですから、道端に車を止め、つなぎに着替えてジャッキアップし、うまをかけて(すごいでしょ、部車はガレージジャッキだってつんであったりする!ジャッキで持ち上げたままの作業は危険なので、うま・・・車体をもちあげたまま保持する3脚みたいなもの・・・をかけます)車の下にもぐって修理を始めたりすることはしょっちゅうでしたね。いまだに僕の車にはつなぎがつんであります。一番怖かった故障は、友達のホンダS600(これも名車のひとつです)を借りてのっているとき、五反田あたりでスロットルがもどらなくなり、エンジンの回転が落ちなくなってしまいました。今の車にはシンクロといって、エンジンの回転数と駆動輪の回転数がちがってもギアがはいる仕組みがついていますが、当時の車はついていませんから、ギアは入らないし、もちろんギアチェンジは出来ないしで、信号で止まるたびにエンジンを切って、セカンドギアにいれ(そのギアで発進、走行すべてしないといけない!)、セコ発進してそのままセカンドギアで走行、スピードは半クラッチだけで調節し、部室までなんとかたどりつきました。最近もエンジンの回転が落ちなくなって、事故に結びつくケースを耳にします、みなさんも気をつけましょう。一番の方法はエンジンキーを切ることです、お忘れなく。いまの車はほんとうに故障しなくなりました、進歩ですね。

学園祭
毎年学園祭のときは自動車部としての行事が行われます。一般の車好きの人にも楽しんでもらえるように、いろいろ趣向をこらすのですが、その中で当時毎年行われる行事がありました。部車に「柏」という愛称の1934年製のフォードがあります。もうとうぜんご老体なので、パーツもなく、どうしても必要なパーツは、他の車のものを流用したり、自作したり、工作が難しい場合は機械工作のプロ(そこは専門の大学ですから、研究室や工場には旋盤のプロとかいるわけです)に加工をお願いしたりしてなんとか動く状態を保っていました。もちろん公道も走るので、ちゃんと車検もとります。もっともこの車の車検は、整備そのものよりも、いかに車検場の検査員に頭を下げるかが勝負です。正規の車検基準はもちろん満たしませんので、ひたすらペコペコ頭を下げて車検を通してもらいます。この柏の、1年に1〜2回の晴れ舞台が学園祭なのです。ピカピカに磨きたてて、学内の人通りの多い場所をパレードし、まあみんなにみせびらかすわけですね。本館前の目立つ場所に止めると、人だかりができます。
「なんていう車ですか?」、「何年製ですか?」・・・質問が飛び交います。
「柏」で銀座に繰り出すのも恒例の行事です。ただ銀座まで行くみちのりがたいへんです。ラジエータが水漏れしているのでしばらく走ると冷却水がへって、すぐオーバーヒートします。ポリタンに水を入れてもっていき、つぎたしながら走ります。そして銀座通りをゆっくり威風堂々とパレードするのです。もうみんなの注目の的ですね、とちゅう路肩に止めると車好きがよってきて、ひとしきり車談義に花が咲きます。楽しかったですね。

柏(フォード・フェートン/1934年型)
ランドクルーザー(1959年型)
直線バック
一度ラリー中に、はでなミスコースをしたことがあります。右折すべき交差点を見落とし直進してしまいました。後続車が突然いなくなりおかしいということで、車をとめ一瞬のうちに決断をくだします。ミスコースはラリーにおいて致命傷になることが多いのです。ラリーは指定されたコースを、指定された速度で正しく走行しているかを競うゲームですから、ミスコースした分のタイムロスがそのまま減点に結びつきますし、またどれだけミスコースしたかを把握しないと正しい時間が計算できません。ですから車を止めた時点でトリップメーターを読み、ミスコースした場所までもどった時点で再びトリップメータを読み、ミスコース分がどれだけかを計算して修正します。ふつうトリップメータはバックすると逆回転しないのですが、このときわれわれのラリー車は逆回転するトリップを搭載していましたので、このままバックしようということになり、ぼくは相当長い距離のバックを余儀なくされました。もちろんそれほど広い道ではありませんし、直線でもありません。たぶんいままでの運転歴のなかで一番長距離のバックだと思います。なんといってもバックのセカンドギアが欲しいと思ったほどですから。危なくないのかって?たいへん危険ですからみなさんは真似をしないように、ぼくのラリー車はリアにもフロントほどではありませんが、明るいスポットランプを装備していましたし、またこういう場合に備えてバックの練習はもちろん、バックのスピンターンでさえ練習しますからね。

ドロ沼
ドロ沼、はまったことありますか?ドロ沼からの脱出も技がいります。ディファレンシャル・ギア(通称デフ)ってわかります?車体後部の下をのぞいて見てください、後車軸の中央に直径20〜30cmほどの丸いぼてっとしたものがあるでしょ、それがデフです。後輪駆動の車はもちろん後ろの2輪で駆動するのですが、両輪の接地状態はいつも同じとは限りません。その調整をしているのがデフなのです。たとえば片輪だけがドロ道や雪道のように極端に摩擦の少ない場所にはまると空転してしまい、正しく駆動力が伝わりません。そこであせってアクセルをふかすとドンドン深みにはまります。脱出に必要な装備はリアのトランクに取り付けたホールド用の取っ手、リアバンパーのステップと重い体重です。何をするのかって?簡単なことです、巨体の人が取っ手をつかんでリアのステップに乗り、おもいきり自分の体重を車体後部にかけながら車をゆすります、このときドライバーはセコで車を発進させながら前後にゆすります。まあたいていこれで脱出できます。最近はあまり見かけませんが、昔のラリー車にはトランクに、このための取っ手がついていたものです。これがないと車の後部はつかまるところがありませんので、意外に大切なものなのです。もちろんラリー中だと後続車の人手も借ります、というよりはスタックした車を脱出させないと自分の車が通れませんからね。ふつうは、板きれ、石ころ、木の枝などを、ぬかるみのはまったところに敷き脱出をはかります。ボロ毛布を一枚もっているのも有効です。もちろん脱出用にも使えますし、寒冷地でのラジエータ、フロントガラス等の防寒用、またヒータがこわれたときにも役にたちます。最近はLSD(リミテッド・スリップ・デフ・・・片輪の空転をおさえ、もう片輪に駆動力が伝わるようにする仕組み、現在の私の車にはオプションで装備されています・・・麻薬ではありません念のため)、ウインチ(ワイヤを立ち木等に引っかけて、巻き上げて脱出する)などが装備されぬかるみからの脱出も容易になってきています。

ギアチェン
高速道路に登坂車線ってありますね。だいたいバスやトラックが黒煙をあげて走っています。一般道でも上り坂でだんだんスピードが落ちてきて、ブァンとひとふかししてギアチェンをするシーンよくみかけませんか?「おそいなー、もっと速く行ってくれよ。」大型車のうしろにつくとよくつぶやいてませんか?ディーゼル車は坂きついんですよ。せいいっぱいがんばっているんです、かんべんしてやってください。あれでもアクセルはペタンコ踏んでいるんです。それでも登らなくなるので5速から4速(4速から3速)にシフトダウンしてるんです。ブァンとふかすのはもちろんダブルクラッチ踏んでるんです。大型車のギアはギアそのものもでかいので、ダブクラ踏まないとスムーズなギアチェンはできません。バスの運転手はお客様のことを考えてシフトアップの時もダブクラ踏みます。また、高速道路の登りで後続の大型車がバックミラーいっぱいに、ギリギリまで接近してきて、やなやつと思ったことありませんか?大型車は登りではアクセルいっぱいにふみこんでやっとです、一瞬でもアクセルもどすともう登らなくなります、だから前の車をおどしているのではなく(じつはおどしてるやつもいますが)、前の普通車にもっと速く行ってと言ってるんです。大型車の経験のない皆さん、そこらへんのところわかってあげてくださいね。ぼくは、今年初めピックアップを新車に買い換え(規制が強化される昨今、ガソリンにしようかとも思いましたが、やはりディーゼルにしました)、排気量が2800ccから3000ccになりました。この200ccの差がおおきいですね。中央高速の下り線では談合坂の登りが一番きついのですが、前は5速から4速におとしてもきつかったのが、今度は4速にいれるとけっこう力強く登っていくのです。少しくらいの登りなら5速のまま駆け上がれるのです。いつも登坂車線を走っていたところが走行車線を走れるんです。これたいへんうれしいですねー。みなさんも大型車のことを理解して仲良く走りましょう。

ミラー
もうフェンダーミラーという言葉は死語なのでしょうか?最近の車はみんなドアミラーです。そのほうがかっこいいからというだけの理由で登場したドアミラーがいつのまにかミラーの主流になってしまいました。ぼくはぜったいフェンダーミラーのほうがいいと思うのですが。まずドアミラーは、右はまだしも、左を見るとき(右ハンドルの場合)首を振らなくちゃいけないじゃないですか。フェンダーミラーなら、チラッと目を動かす程度で左が見れます。さらに狭いところを通すときもフェンダーミラーは最適の目安になるんですよ。ミラーの先端は一番車幅がでっぱっているところですから、フェンダーミラーさえ通せばボディは絶対通るんです。また、万一ぶつけてもミラーだけの損害ですみますが、ドアミラーだとその前にボディがぶつかってしまいます。ぼくのピックアップには、フェンダー左前方に、RV車によくついているちっちゃいミラーがついていますが、あれなんの役にも立ちません。つけないほうがいいと思うのですが、一時RV車の左側の巻き込み事故が多発し、法令で義務づけられてるそうです。それに比べると、大型車のミラーいいですよ。右も左も直前も全部お見通しです。

ダンプ
みなさん、ダンプカー好きですか?エェ、おかしな質問です?ぼく好きなんですよー。実は、ぼくがふだん通勤するのに使いたいと思っている車は、バスとダンプです。今回の一連の運転免許試験では、受験者にプロの運転手が多いので、彼らにそこらへんの事情をいろいろ聞いてみました。第一の問題点は車両購入費用が高いことです。新車は1千万〜3千万円、中古でもけっこうしますので、まあスーパーカー並みと考えればいいでしょうか。つぎに維持費です、たとえばタイヤ交換ひとつとってみても、6〜10本ありサイズもでかいですから数十万円はかかり、また車庫代もバカにならないそうです。さらに自宅近辺に車庫を借りること自体が困難なようです。というわけでいまだに夢は実現していませんが、いつの日にかは・・・とがんばっています。ねらいとしては、ダンプの中古、東急バスの中古の払い下げ、けん引車のトラクタのみ、あとトヨタのメガクルーザ、ベンツのウニモグといろいろあります。


ウインカー
車どうしの意思表示にもっとも大切なものです。右左折の時はもちろんそれ以外にもいろいろな場面で使われます。最近よくみかけるのはハザードランプを、前に割り込ませてもらったときのありがとうの意味で使ったり、高速道路で渋滞の後尾についたとき後続車に警告の意味で使ったりします。たしかハザードランプは緊急停車時以外使ってはいけないと習ったような気がするのですが・・・まぁいっか。高速道路の追い越し車線で、前の車にピッタリつけて、右ウインカーをだしている車を時々見かけますが、どうやら「どけ!」という意味らしいですね。
ウィンカーはもちろんウインクするという意味ですが、皆さんはそれ以前のウィンクしない方向指示器がどのようなものだったかご存じですか?長さ20cmほどの矢印形の腕がニョキっと曲がる方向に出てきます。夜間は腕の中に赤ランプが点灯します。昔はどの車もこのタイプの方向指示器でした。これこわれやすいんです、だから手信号で右左折の合図していた車多かったんですよ。みなさんウインカー故障したとき手信号できますか?はぃ、左にまがりま〜す。

左フロント
みなさんのラリーにたいするイメージはただひたすら飛ばす・・・ではありませんか。もちろんSS(スペシャルステージ)といって、ひたすら飛ばすだけという区間もありますが、じっさいには指定された速度通りに走行しているかという正確さを競うものなのです。SSというと忘れられない思い出があります。日本アルペンラリー(当時日本最大のラリー、一泊三日!で約2000kmを走破する!!)における、木曽の乗鞍岳の登りです。表側には乗鞍スカイラインという快適な舗装道路がありますが、裏側から山頂を目指す道はすごい林道です。指示速度は50km程度だったと思います。なんだたったその程度のスピードでいいの?とお思いの方はぜひ一度いらしてください。普通の人が普通の車で走行すると、平均スピードは10kmにもみたないでしょう。というより多分とちゅうでこわくなって引き返してくることになると思いますよ。とにかく岩はゴロゴロ、凹凸だらけ、道がえぐれていたりで、とてもまっすぐ進むことさえままならない道です。カリカリにチューンしたラリー車でも無傷で走るのはたいへんなところです。ここでは室内の照明(コマ地図や計算用にラリー車の車内はけっこう明るい)も全部消し、ナビはコースの指示「はい、次は左ヘアピン・・・」、計算係は計算お休み(計算しても指示速度からは遅れるだけだから計算しない)です。最高にスリリングな場面でもあり、車とドライバーの腕がもっとも問われる区間です、とにかくできるだけ速くチェックに飛び込んで減点を最小限に食い止めるかが勝負です。山頂直下の駐車場にチェックがあることはわかっていますので、ひたすら飛ばします、ところがそのときです、左のフロントタイヤをとがった岩にひっかけ、それも一番弱いサイドウォールだったので 「プシュゥー」という音とともにバーストです。タイヤ交換しているひまはありませんので、「もういっちゃえ」でしたね。チェックまで1kmちょっとあったでしょうか、もう最後はほとんどリムだけで走っていました。多分火花をまきちらしながらの走行だったと思います。チェックが見えたときはさすがにほっとしました。山頂では1〜2時間のレスコン(小休止)がありました。その間に、さすがファクトリーチームです、サポート隊が万全の態勢で待機していますから、選りすぐりのメカニックがこわれた個所を新品同様に修理してくれます・・・感謝。そして空が白みかけた頃、再び同じ林道を駆け下っていきます。このラリーの優勝者は、この区間が圧倒的に速かったのですが、「乗鞍の登りはどうやってドライブするのですか?」という質問にたいする彼の答えは、いまだに脳裏に刻み込まれています。「あー、あそこは飛んでいくんですよ!」そうでしょう、そうでなければあんなタイムがだせるはずがありませんよ。




当時、僕は三菱ファクトリーチームの一員でした。車はファクトリーチューンのギャラン、軽量化されたボディに300馬力以上のエンジンが積みこまれ、足回りもガチガチに固めてあります。練習の時には運転させてもらいましたが、峠の下りではこわくてアクセルが踏み込めませんでした。


これらの3枚の写真は、1970代初めの各自動車メーカーの宣伝写真です。なつかしいですね。









バス
最近都内を走るバスには、ボディ・ペインティングがほどこされて、けっこう楽しめます。財政難の東京都が、CMの媒体としてボディを切り売りしたのでしょう。一時、企業の宣伝専用のトラックが走っていましたが、ここのところ見かけなくなりました。

ところでみなさん、バスの起源ご存じですか?
うちの近所を、東急コーチというバスが走っています、実はこのコーチがバスの起源なんですよ。"stagecoach"といって、いわゆる駅馬車ですね。もともと"coach"(馬車)はだいぶ前から使われていましたが、17世紀後半になると、それが"stage"(宿場)間を結び、旅客や郵便物などを運ぶようになりました。2〜6頭立ての箱形の4輪馬車で、3人掛けの座席が向かい合って並び、定員6名が一般的です。ただしこれでは輸送人数が少ないので、元気のいい若者は屋根の上や御者の隣とかに乗っていました(これ、ほこりがすごいんでしょうねー)。18世紀に入ると、道路も整備され、馬車の製造技術も上がるにつれ、駅馬車のスピードも格段に速くなっていきます。しかし、19世紀に入り鉄道が開通すると輸送力、安全性など面で劣る駅馬車は急速にすたれていきます。
ジョン・フォード監督の名作「駅馬車」でその勇姿を一度ご覧になってみてはいかがでしょうか。

ぼくにとっての駅馬車は、連続テレビドラマ「ララミー牧場」です。子供の頃このドラマで西部開拓時代を知り、「コンバット」で戦争体験をする、そして「水戸黄門」で、江戸時代がわかる。ちょっと脱線しましたかな・・・。
「ララミー牧場」は2人の若者が主人公なのですが、若い方のジェス(多分?)、かっこよかったです、あこがれましたよ。彼が駅馬車を運転する時は、いつも兄貴分から
「おまえは、飛ばしすぎるから注意しろよ。」
といわれます。
彼の返事は、
「兄貴のようにのんびり走ってると、インディアンにやられちゃうぜ。」
そういって、きれいな若い娘さん(たまにやさしいおばあさんのこともある!?)を駅馬車にのせて出発します。このやりとりがあると、必ずとちゅうでインディアンの襲撃にあいます。そして危機一髪のところで・・・というおきまりのパターンなのですが、もうテレビにかじりついて見ていました。何年か前ケーブルTVで再放送していましたが、またぜひ見てみたいものです。

19世紀末、初めて自動車によるバスが運行され、現在に至っています。外国では、2階建てバス、連結バスをよく見かけます。左は南アフリカのヨハネスブルグを走る2階建てバス。真ん中はアメリカのワシントン市内を走る観光用連結バス。右はロンドン名物2階建てバス(double-decker)。乗り合い馬車時代、屋根に客を乗せた伝統から、屋根のついた今も2階は"outside"と呼ばれています。ちなみに「バス」という呼び名は、オムニバス映画の"omnibus"(omni=すべての)に由来します。はは〜〜ん、だからテニスで全天候型コートをオムニコートっていうんだ、ひとつ賢くなった。




バスターミナル
小学校4年生の時の話です。当時ぼくは登呂遺跡に住まいしていました。朝、板きれと木の棒で火を起こし、粥(菜入り)の朝食をとり、ランドセルに教科書をいっぱい詰め込み、家康が隠居していた駿府城を臨む、お堀端の学校(附属学問所と呼ばれていた)に自転車で通っていました。えぇっ、時代が変ですか?まあまあそう固いことは言わないで・・・。東海道線の跨線橋を、蒸気機関車のモクモクと立ち上げる煙にまかれながら(これ、けっこう気持ちいいんです、そのかわり真っ黒けになりますけど・・・)渡ると、静岡中央駅にでます。駅前は広いバスターミナルになっています。駅前の横断歩道を渡ろうとしたら、なぜか自転車がこけたんです、その時信号がかわり、目の前でこけているぼくに気がつかずに、バスがガァ〜〜〜っと迫ってきました。バスのおっきなタイヤが自転車に乗り上げ、前輪がグシャっと曲がるのが見えました。つぎは自分の番だ、あぁー、もうだめかなって思った瞬間、運転手さんが気がつき、ほんの数センチのところでバスは停車しました。ぼくはころんだまま、巨大な、ほんとに巨大なバスを見上げて泣き出しました。駅前交番のお巡りさんが飛んできて、ぼくを抱きかかえ交番まで連れて行ってくれました。「大丈夫か?どこも怪我してないか?」、「家はどこ、電話番号は?」お巡りさんが尋ねますが、ぼくは、ただ泣きじゃくっていました。幸いかすり傷程度ですみましたが、あの時の恐怖感は忘れません。

バスといえば、もう一つエピソードを紹介しましょう。これは大学生の時の話です。当時ぼくが Team AKKO というラリーチームを組みラリーにこっていたことは前にお話したと思います。ひまがあるとよく山に行って練習したものです。秩父の定峰峠、大野峠、刈場坂峠(ここは現在は、観光地化されてほとんど舗装されています)、中津川林道から信州峠、木賊峠(ここは普通の車では決して行かない方がよいでしょう)、河口湖から少し登って御坂峠(太宰治が逗留した天下茶屋があります、富士山の眺めが抜群ですよ)、秦野から入る阿夫利林道、ヤビツ峠などなど、とにかく東京から行けるダートを求めていろいろな場所で練習しました。
ふつうは夜中に行くのですが、その日はめずらしく昼間でした。いくら山中とはいえ、昼間は一般車も通りますので、そんなに飛ばしていたわけではありません。わりと広いダートが続く山道でした。左のヘアピンを立ち上がり、さあアクセルを踏み込むぞと思ったら、30メートルほど前方にバスがいるではありませんか、エェーなんでバスがいるの!?あわててブレーキングします。すれちがえるほどの道幅はありません、バスは我々の車に気づいて止まっています。さあ、これでぼくの車が止まれるかどうかです、ダートでフルブレーキを踏むと、タイヤがロックしてザザザザァーとすべり、制動距離が長くなってしまいます。ぼくは必死にブレーキをポンピングし、なんとかグリップを失わずに、できるだけ短い距離で車を止めようとします。あとバスまで1メートル、よしいけたかと思い、最後にフルブレーキを踏んだのがいけなかったのでしょうか、車はスーっとすべるようにバスのバンパーにコチンと当たってしまいました。あと20センチ、いや10センチあれば止まれたような気がします。まずいぞ、相手は路線バスです、ほらよく踏切事故で電車とかを止めると、損害賠償何千万円とか聞くじゃないですか、それを思い出し、貧乏学生の我々3人は青くなります。バスの運転手さんが降りてきて、被害状況を確認します。大型車のバンパーは頑丈にできていますし、とにかくぶつかったというより、さわったに近い当たり方ですからほとんど傷もついていません。乗客もいるので、とりあえずこのまま運行し、営業所に帰ってから事故係に見せるので、連絡を待つようにと言われました。いくら請求がくるのだろう、バスのバンパー高いのかなぁー?いやそれより、営業損失の請求の方が心配だよなー、その日はいろいろ話をしながら、おとなしく帰りました。後日バス会社から連絡があり、傷もほとんどわからないし、バスの運行にも支障はなく、まだ君たちは学生の身分でこれからの身だから、今回は許してあげよう、ただし以降、運転には充分注意するようにという趣旨でした。
ほんとうに申し訳ありませんでした、寛大な事故処理に感謝です。
というわけで、バスに正面衝突の巻でした。

車や免許に興味のない人には、つまらないかなと思って、せめて写真で楽しんでいただこうと、いろいろなところから画像を探してきます。そうすると、自分でも気がつかなかった事実に気がついて、へー、なるほど、そっかー・・・と思うことがよくあります。御坂峠の地図では、なんと笹子峠(「免許がとれない」その1にあります)と御坂峠は山ひとつ越えたお隣どうしなんだと初めて知りました。もちろん近くだろうとは思っていましたが、この地図(日本列島大地図館/小学館…1万円もするんですよ!)は地形が立体的に見えるので、一般の道路地図とはまた違った目線で見えます。現在御坂峠は有料の御坂トンネルがあって、あっというまに通り抜けることができます。そういえば、真夜中で他の車のいないのをさいわいに、このトンネルでゼロヨンの加速を計測したGさん、お元気ですか?速かったですね、カリカリチューンのローレル、たしか12秒台前半で走ったと記憶しています。上野毛の美術館、たまに行きますよ。
上の写真は、駿河湾側から見た富士山です。子供の頃は毎日この富士の姿を見てすごしました。最近は山梨県側から見ることが多いのですが、ぼくにとっての富士山は裏富士より、やはり明るい表富士です。富士山の美しい姿を見ると、心が洗われる思いがします。いまだにぼくの元気のみなもとです。


意味のない免許
みなさん、免許・資格もっていますか?
仕事柄、面接をすることが多いのですが、履歴書に免許・資格を書く欄があります。一番多く書かれているのは「普通自動車第一種免許」、これは今の人はほとんど持っていますね。男性はさらに「普通自動2輪免許」もけっこう持っています。以外と少ないのが「原付免許」でしょうか。これは50cc以下のバイクに乗るのに必要な免許ですが、持っていない人のほうが多いようです。普通免許をとれば自動的に乗れますので、とる必要がないということでしょう。ですから「原付免許」を持っているのは、根っからのバイク好きと考えてよいと思います。

ぼくは16才の時原付免許を取得し、お小遣いとお年玉を貯め、上野の中古バイク屋にいって、ホンダのスポーツタイプのバイクを買いました。うれしかったですねー、両親には内緒でしたので、家の近所に止め、高校にはそのバイクで通っていました。しばらくして両親にバレ、こっぴどく親父に叱られました、けれど禁止はされませんでしたね。
学園祭の日、いつもより遅い時間に学校に行くとちゅうで、荻窪のあたりで、お巡りさんに止められ、
「おまえ、こんな時間にバイクに乗っているのは、学校をさぼっているのに違いない、学校はどこだ、連絡して先生に叱ってもらおう」
どうやら、学校をさぼって、バイクを乗り回して遊んでいる不良少年と思われたようです。お巡りさんは学校に電話し、確認します。
「ふむ、どうやらおまえの言ってることが本当らしい、行ってよいぞ」
当然でしょ。この日は登校時間は自由だし、うちの学校はバイク通学が認められているし、なにも悪いことはしてないんだからー!! というわけで、無罪放免されましたが、ここらへんからぼくの「お上」嫌いは始まっていたのかもしれません。結局バイクは高校生で卒業し、今に至るまで、「原付免許」と「大型自動二輪免許」は、免許の数という意味では貢献していますが、実質的にはあまり意味のない免許になっています。

話をもとにもどしましょう。運転免許以外では、やはり仕事柄、「実用英語検定」、「TOEIC」、「TOEFL」、「漢字検定」、「珠算」、「中高各教科教員免許」・・・。その他では「幼稚園教諭」、「保育士」、「社会福祉主事」、「情報処理技術者」、「一般旅程管理者」、「簿記検定」等々、ぼくが面接したみなさんいろいろな免許・資格をもっています。


ぼくは履歴書に書くとしたら、運転免許だけで欄が埋まってしまいそうです。あとは「ガス溶接免許」、「宅地建物取引主任者」、「一太郎3級」・・・ははは、なんとも脈絡がない免許の種類ですね。不動産屋さん開業できるんですよ。そうだ、今度「マウス」の試験受けようと思いつつ、のびのびになってます。ワードあんまり使わないので、忘れてしまいそうです。


技術の進化
最近の車、技術の進歩すごいですね。だれでも簡単に楽に運転できるように改善されてきています。
まずは、パワーのアシスト。みなさんは、車のハンドルは軽く回り、ブレーキもさほどの力が必要ないと思ってらっしゃいますよね。実はどちらも油圧やバキュームのアシストがついています、だから力のない女性でも楽に操作できるわけです。便利な時代ですね。
昔の車はハンドルを回すにも、すごい力がいりました。かっこつけて、レーシングカー用の径の小さいステアリングホイールなどつけていようものなら、腕ずくでハンドルを回さないといけません。特にフィギア競技などで、短時間にハンドルをたくさん回さないといけない時は、もう汗だくで腕っぷしの勝負という感じでした。自動車部が運動会系のクラブなのも納得できます。パイロンを並べてスラロームする時、我々はハンドルから手を離さず連続的に回す技を練習します、これは狭い車庫に入る時などいまだにけっこう役にたちますよ。エェッ、教えてほしいですか?いいですよ、それでは左手でハンドルの一番上をにぎってください。次に右手の手の平を見ながら、左手の手首のところで交差させて、手の甲と甲をあわせます。これが右にハンドルを切るときの基本姿勢です・・・ウゥーン、ここから先は言葉で説明しにくいので、知りたい方はいつでも教習いたしますのでご連絡ください。
ブレーキもすごく進歩してます。1トン以上もの鉄のかたまりを止めるわけですから、そのエネルギーが相当のものであることはご想像いただけるでしょう。しかし、進歩したといっても、結局は摩擦で止めていることに変わりはありません。インディ・ジョーンズの第2作「魔宮の伝説」で、暴走トロッコを、靴を車輪に押しつけて摩擦で止めるシーンがありました。靴が燃えだして、アッチッチになり、インディが「水、水」と叫びます。すると、大量の水が押し寄せ・・・続きはビデオでどーぞ。電車、ないし最近のハイブリッドカーが採用しているように、そのエネルギーを電気的に回収できるようになるといいですね。今のブレーキは負圧を利用して力を倍加しています。さらに大型車では排気ブレーキもついていますので、以前に比べて格段にブレーキの利きがよくなっています。排気ブレーキはある程度以上ブレーキを踏み込むと、強力に利き始めます。ぼくはこれのおかげで、何度か試験に落ちました。2種免許は客を乗せるだけに、ブレーキングの減点は厳しくとられます。


車庫入れ
車庫入れ、苦手な人多いですよね。エッ、あなたもそうですか?
いわゆる、車庫入れと、縦列駐車とどちらが苦手ですか?
ぼくの今の車はでかいので、どのみち苦労するのですが、どちらかというと、縦列駐車が一発で決まったときの方が快感かな・・・。
ぼくの場合縦列駐車では、左側を寄せようとするあまりの失敗が何度かあります。

その1.狭い道で、ズラッと車が左側に路駐していました。1台分すきまがあったので、そこに止めようとしたときのことです。1回でほぼ入ったのですが、なんせ道がせまく、ぼくのトラックは車幅がありますから、もう少し寄せようかと思ったのが敗因でした。ミラーで見る限りでは左側には何もないので、もう5cmほど左に寄せ、最後にまっすぐ立てるとき、左前部でガリッ、えぇ、なんでと思い降りて見に行くと、そこには高さ30cmほどの石垣が、ほんのわずか、でっぱっていました。こーゆーのミラーで見えないんですよね、くやしぃー。。。

その2.その時は、自分でも気持ちいいほどピッタシ左に寄せられました。左側は人の背丈ほどのブロック塀になっている場所でした。そう、塀とのすき間は1cm あるかなしかというところだったでしょうか。買い物をすませ、車にもどってきたときには、そんなことはすっかり忘れていました。クラウン(今のトラックの前に乗っていた車です)のパワステのきいたハンドルを、手のひらでクルクルっと回して発進してしまいました。左後ろでかすかに音がしました、その瞬間ハッと気がつきましたが、もちろん時すでに遅しです。オーバーハングをこすってしまいました。一般に普通車では、オーバーハングは気にすることはないのですが、クラウンは全長が長く、リアタイヤから車体後端までの距離もありますので、ゆっくりとしたスピードで、ハンドルを急激に切ると、オーバーハングが出っぱってしまいます。道路がカマボコ型になっていて、車体が左に傾いていたせいもあるとは思いますが、普通車でオーバーハングをこする人は、そうそういないのではないでしょうか。。。バカです、最近トラックでまた同じことをしてしまいました。。。傷が浅いので、修理に出すほどではないのですが、ほんとに懲りない奴ですね。

けん引免許にチャレンジしてからは、普通車での車庫入れは、なんと楽チンなのかと思います。


スタート直後
スタート直後というと、忘れられない思い出があります。東京農大ラリーでの出来事です。農大ラリーはご近所でもあり、賞品が楽しいので、毎年参加していました。 世田谷通りの農大正門をスタートし、世田谷通りを渋谷方向に向かいます。少し行くと上町の信号です、「おっ、黄色にかわったな、行ってしまおう」と軽くアクセルを踏んだとたん、「スロー、スロー、スロー」とナビゲーターのあせった声がとびました。前の車が黄色信号で停止したのです、ぼくははるかかなたを見ていましたので、直前にいる車にはまったく気がつきませんでした。もちろん、急ブレーキをかけましたが、ドスンと追突です。・・・みなさんもこういう経験ありませんか?少し遠くを見ていて、自分の目の前の車や、人が目に入っていないこと・・・。あーあ、これでチームAKKOの連続入賞記録もついに終わりかー。おっと、それより事故処理が先ですね、車を停めて双方で、破損状況を確認します。すごい!相手方の後部バンパーがへこんでいます、それも見事に円錐の形で!! ぼくのスカイライン(初代の車です)はラリー仕様ですから、フロントバンパーにはマーシャルのスポットランプとフォグランプが各2灯ずつ計4灯、リアバンパーには小型のスポット、車内には手持ちのスポット、さらにナビ、計算用にそれぞれ補助ランプが装備されています。 今日はデーラリーですが、ナイトラリーのときはこのランプたちが、その威力を発揮します。フロントの4灯をフルに点灯すると夜でも昼間のように明るくなります。スポットランプは100m先まで、フォグランプは少しワイドに振って取り付けてありますから、コーナリングのとき進行方向を明るく照らしだしてくれます。さらに、スポットランプには、遅い車に追いついたとき、後ろからこれで照らせば、すぐにゆずってくれるという利点?もあります。 このマーシャルのランプは通称「でべそ」と呼ばれ、中央部に3cmほどの円錐状のでっぱりがあるのが特徴です。この「でべそ」がちょうど相手のバンパーにぶつかり、そのでっぱりの形のまま鋼鉄のバンパーがへこんでいるのです。そしてなんと、ランプはガラス製にもかかわらず、まったくヒビもはいっていません。びっくりしましたね、あの鉄製の(今は樹脂製が多いですが)頑丈なバンパーがへこんで、ガラスが割れていないのですよ、実はガラスは、鉄より強かった!相手のドライバーもさすがに驚いていました。全面的にぼくの方が悪いので、修理代は当方持ちということで、話し合いがつき、警察も呼ばなかったこともあり、意外とすんなり交渉が終わりました。3人で車に戻り協議します。「どーする?」「リタイア?」「まだ始まったばっかだしなー」、ぼくは責任を感じて、他の二人(ナビ=笠原、計算=小木曽)の意見に従うつもりです。ただし、ぶつけたことでガックリきていますから、あまりやる気はありません。結局、時間のロスも少ないし、MCP(=メーター・コントロール・ポイント。ラリーは、スタートしてからMCPまでは競技区間ではなく、オフィシャルの車と競技車との、トリップメーターの誤差を計測する区間ですから、時間的な余裕もたっぷりある)まではまだまだあるからということで、競技続行の決定が下されました。ぼくはしぶしぶ車を発車させます。それほど気合いは入っていませんでしたが、MCPをすぎ、競技区間に入ると、そこはラリードライバーです、次第にいつも通りの走りになってきます。なんとか完走し、調子がよかったとはいえないものの、それでも6位までの入賞は確保しました。
ところで、賞品何だかわかりますか?1位は米俵1俵、2位は大根など農大農園の自家栽培野菜盛り合わせ等々、ふつうは、タイヤとかカーステとか自動車用品が多いのですが、いかにも農大らしい賞品でしたね。もちろんゴール時に農大名物「大根踊り」もついていました。


おまじない
みなさん、なにか車に関するおまじないありませんか?
ぼくはいくつかあります。
その1.車で出かけるとき、時計が、××時42分をさしていると、発車しません。43分になるまで待ってしまいます。これは日本人らしい縁起かつぎですね。いまでも病院、マンション、駐車場等々、4と42は欠番になっているところ多いのではないでしょうか。ラリーのゼッケンもやはりこの二つの番号は欠番にします。
その2.走行中、霊柩車に会うと親指をかくす。これは小学校の先生に教わったおまじないです。今はもう守るべき親はいないのに、ついやってしまいます。習慣とはかくも恐ろしきものですね。

 東 京 ⇔ 御殿場 静 岡 浜 松 名古屋 栗 東 西 宮 門 司
 普通車 2,500円4,100円5,350円7,100円 9,500円11,150円20,800円
 中型車 2,950円4,900円6,400円8,500円 11,350円13,350円24,950円

その3.高速道路の料金所で、無人のブースを通る。これは説明しないとわかりませんね。ぼくのトラックは1ナンバーです。5ナンバーと3ナンバーは普通車で高速料金が同じですが、1ナンバーは中型車で(注:1ナンバーには、大型サイズナンバープレート=大型車、普通サイズナンバープレート=中型車の2種類あります)、普通車より2割程度高いんですよー。高速の入口でカードもらいますよね、あのとき料金所のおじさんはちゃんとナンバーを見て、その車種のカードを渡します。無人ブースでは、ナンバーを機械が読みとってカードがでてきます。相手は機械ですから、ごまかす余地があるわけです、いろいろな攻撃パターンがありますが、差し障りがありますので、詳細はナイショです。ただ入口でせっかく普通車のカードをもらっても、出口でまじめに仕事をするおじさんがいると、バレてしまう場合もあります。わざわざ、ブースからでてきてナンバープレートを確認される時もあります。
ところで、みなさんの車何ナンバーですか。3、5がほとんどですよね。むかしの3ナンバーは、取得時の費用、税金、高速料金などなど、なにからなにまで5ナンバーに比べて高く、高級車の代名詞でしたが、今は3と5の違いはあまりありません。現在は1ナンバーが高級車の代名詞ということにしておきましょう??


車体のサイズ
全長:510cm/全幅:179cm/全高:177cm/車両総重量:2170kg
以上が、現在ぼくの乗っているトラックのサイズです。
みなさん、ご自分の車のサイズ、おわかりになりますか?
多分、あまりご存じない方のほうが多いのではないでしょうか。車検証に書いてありますので、一度確認してみてはいかがでしょう。
ぼくのトラックは、普通乗用車に比べて、長さ、幅、高さ、重量等すべてが、でかいのでいろいろトラブルが発生します。
一番困るのは駐車場です。機械式の駐車場はもちろん断られますし、一般の駐車場も入るときに、必ず高さ制限を見る習慣がついています。ビルの地下にある駐車場は、高さ制限2.1mというところが多いのでなんとか入ることができます。ギリギリの高さのところは、ラジオのアンテナを伸ばしたまま、ゆっくり進みます。アンテナが通ればOKです。ただし、こういうところは頭をこすりそうで恐いですけどね・・・。らせん状にグルグル回りながら昇っていき、その両側に駐車スペースがあるタイプの駐車場は、たいてい狭く、これまた困ります。対面通行なので、すれ違いはきついし、やっと空きをみつけて駐車しても、頭がはみだしてしまい、他の車が通りにくいかなとか、自分の隣の車が出られるかなとか、気を使います。100円パーキングも狭いところが多く、ひどいところは、ぼくのトラックでは入るのさえ無理というところもあります。とはいえ、路上駐車をしようにも、全長が長いぼくのトラックは、普通車なら入れるスペースでも、無理な場合が多いですから、100円パーキングはよく利用します。楽なのは、青空駐車場、高層ビルの駐車場です。たとえば秋葉原では駅前に青空駐車場があるので、たいていそこに止めます。また高層ビルの駐車場は、わりとゆったりと設計されているので、気軽にとめられます。

東京湾フェリー3m未満4m未満5m未満6m未満7m未満8m未満9m未満
久里浜⇔金谷 2,300円3,040円3,880円4,930円 6,090円7,250円8,400円

話はかわりますが、フェリー乗ったことありますか?なかなか、いいものですよ。
東京−釧路、青森−函館、青森−室蘭、川崎−木更津、伊良湖−鳥羽、神戸−高松、宇野−高松、高松−土庄、丸亀−下津井、多比良−長洲、松島−八代、山川−根占 ・・・こうやって、いままで乗ったフェリーを書き出してみると、けっこう北から南までたくさんあります。最長は東京−釧路で、夜東京のフェリー埠頭を出発し、翌々日の朝釧路に到着します。印象的なのはやはり、瀬戸内海のフェリーですね。特に夕方、日の沈む頃の瀬戸内海はたいへん美しいので、ぜひみなさんにもおすすめします。もっとも今は本四連絡橋があるので、フェリーはあまり使われないのでしょうね。ぼくはまだ本四連絡橋は、どれも渡ったことがありません。東京近辺では、横横道路でビュンと久里浜まで行き、久里浜−金谷の東京湾フェリーが一番お手軽に楽しめます。えっ、帰りはどうするって?もちろんアクアラインを通って、海ホタルで東京湾の夜景を見てきましょう。
ところで、なんでフェリーの話になったのかって?フェリーの料金は車体の全長によって決められます。車検証って車には積んであるものの、ほとんど取り出す必要がないでしょ、でもフェリーの切符買うときは、車検証を提示して、その全長を確認するわけです。そういえば、トラックに乗り出してからは、一度もフェリーのったことありません。オプションで取り付けた、リアステップバンパーのおかげで、全長が5mを越えますから、上の表によれば、料金が1000円以上も高くなってしまいます。


片側2車線
今の高速道路は、片側2車線、3車線は当たり前、一部4車線のところもあってとても広々、安全に走行できます。
中央高速がまだ出来はじめの頃です。調布−大月−河口湖までしか開通していませんでした。甲府に行くには、大月でおりて国道20号線をテレテレ走る時代です。ユーミンが松任谷ではなく荒井の時代です。いまだに中央高速(本当は中央自動車専用道、だから最高速は80km制限です)をユーミンの「中央フリーウェイ」を聴きながら走って、その歌詞に感動する方いらっしゃるのでは。
「左にビール工場(サントリーです)、右には競馬場(府中競馬場)〜〜♪♪」
その当時はまだ片側1車線、すなわち対向2車線でした。もちろん中央分離帯などはなく、対向車はお互いに時速100km近いスピードですれ違うわけです。その日は東女のモー研と合ドラの日でした。(モー研=モーター研究会=自動車部、合ドラ=合同ドライブ=今で言う合コンですかね)中央高速で河口湖まで行き、帰りの中央道、都留付近での出来事です。前の車が急ブレーキをかけ、スピードダウンします、何ごとかと思っていると、事故です、それも正面衝突です。まだ、衝突してからさほど時間はたっていないようです、救急車もパトカーも到着していませんから。1台は、車の前部がつぶれラジエータから水蒸気がもうもうと吹き出しています。ドライバーは座席とハンドルにはさまれぐったりしています、顔面は血の気がまったくありません。脇を抜けながら、目の前で見てしまいました。その後はもう誰一人として飛ばす人はいません、各車時速50km程度で一列縦隊を保ったまま走行します。もちろん高速道路でこのスピードだと、当然バンバン追い越しをかけていく車がいるのですが、皆恐くてアクセルを踏み込めません。家に帰り着いてから、ニュースで「中央高速で正面衝突事故、片方の運転手は即死」というのを聞いて、あらためて身震いがしました。
今考えてみれば、高速道路で対向2車線というのは、無茶な設計ですね。追い越しするのに、対向車線にはみ出すわけですから、正面衝突時は、相対速度200km近くでぶつかることになります。その後、あまりに危険ということで、中央分離帯ができ、さらに片側2車線になり、現在に至っています。車にもエアバッグが装備され、また衝突時の衝撃もボディが吸収する構造になってきていますので、安全性は飛躍的に向上しました。


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