またまた日本人デザイナーの登場です。戦前の日本には、およそデザイナーという職業は存在しませんでした。戦後急速に発達した日本のデザイン界をリードしたひとりがこの柳宗理です。いままであまり見向かれなかった民衆の道具を「民藝」と名付け、その運動を展開した柳宗悦を父にもつ彼は、東京美術学校を卒業後、ル・コルビュジェ(20世紀最高の建築家)のパートナーであるシャルロット・ペリアンが日本政府に招聘されたときに助手をつとめ、その後自分のデザイン工房を設立し、日本の工業デザインの基礎を築きました。彼の代表作「バタフライスツール」です。立体的に曲げられた2枚の合板を1本のステーでとめています。とてもシンプルなデザインのなかに、やわらかな美しさと力強さをあわせもった椅子です。
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右のいすはその形が鳥居に似ているところから名前のついた「トリイスツール」。日本を代表する建築家のひとり清家清とコンビを組んで、数多くのホテルのインテリアを手がけた渡辺力の作品です。清家に贈ったこのスツールがこわれたことを聞いた渡辺は、脚のデザインを手直しし強度を増したそうです。日本のデザイナーにもすばらしい人がたくさんいます。
どうです、2つのスツールをよーくみると、戦国の武将が使った床几が思い浮かんできませんか。やはり我々の心の奥底にひそんでいるものが、自然とあらわれてくるのでしょうか。信長はきっとこんな美しい床几で、全軍の指揮をとりたかったのでは・・・一脚そちらにお送りしましょうか、信長殿?エーもう使ってらっしゃる、さすがにお目が高い。
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